dreamfact0ryのブログ

映画を勉強中。物置として使う。由来はプリンスの没アルバムから。

考察『ジョジョの奇妙な冒険 ダイヤモンドは砕けない 第1章』

 『ジョジョの奇妙な冒険』はマニエリスム的外連味のある絵柄が人気なのに、本作は淡々としている。 全体的に謎のリアリズムに支配されているのだ。
ジョジョの奇妙な冒険』ならば常に叫び、音楽をかき鳴らし、能力を披露しなければならないはずだ。それは一切ない。アニメ版はそこを理解していて、1部と2部は明らかに作画が荒かったのに成功していた。
ほとんどのキャストは『ジョジョの奇妙な冒険』に求められる迫真の台詞回しを理解していない。
 セットやロケーションは猥雑だ。恐らくカメラを置く時間も、セッティングする時間=予算もなかったのだろう。構図は即興、いたるところにヴィーナス像、鮮やかなポスター、ドリッピング・ペイント&落書きが散りばめられている。しかも、背景ではあからさまな現地(スペイン)人がランニングしていたり、民族衣装を着て踊ったりしていて演出への考慮を感じさせない。 そもそも原作の杜王町はアメリカナイズされた町で、こんな南欧風の町ではない。

 目的が明示されず、淡々と日常が描かれるのは致命的欠陥だ。スタンドとはなにか? スタンドのパワーは? とにかくわかりづらい。それは改変のせいだ。 承太郎の登場が遅いし、鼻が治らない。それにアンジェロはただの小悪党になっている。『少年を強姦し殺し、性器を切り取って釘にうちつける』という文章に起こしているだけでも吐き気のするような描写を映画で描写しないのは見劣りする。それに仗助の祖父へ怒りを向ける理由があまりにこじつけだ。
また、DIOが抹消されていので「億安の父はなんで?」「弓と矢とは?」「ジョースターの因縁とは?」がない。
「運命なんて、テメェでどうにでもなる!」と仗助が言う。しかし、それは荒木飛呂彦の運命観に反しているのではないか。第5部から第6部において繰り返し明示される話だが、全く脚本家には理解されていないようだ。
 吉良吉影関連は捻りも何もない。アニメ版と変わりばえがない。

 第2章はどうなるか。このままではティペレ川の底に眠ることになる。